新着情報

「それでも、生きる」を胸に
~死生観を養う時と場~

死生観とは人生の態度のことです。つまり、あなたの人生の意味です。
あなたが生まれてきたこと、「今・ここ」を生きていること、そのことには大きな意味があるのだと受け取りたいのです。

想い

人生は、「得る・集める」が全てではありません。
人生は、「失う・手放す」ことでもあるのです。

たとえば、大切な人との死別や離別、愛する人や自分自身の健康の喪失や老い、左遷や失職、裏切り、自然災害、ともすれば無関係なはずの事件や事故に巻き込まれることもあります。
そして、これらの喪失に伴う悲嘆は、私たちに苦悩をもたらします。それはとても辛い時間です。

その悲嘆に振り回され、自分自身のことさえ分からなくなってしまう時もあるでしょう。
世界中を敵に回したような孤独感に襲われ、誰も信じられなくなる日もあるでしょう。死が迫ってくる夜もあるでしょう。
悲嘆に暮れることは、ときにその人の人生をも歪めてしまうのです。

しかしながら、当会は「悲嘆に学ぶ態度」をあなたと共に養いたいと想っております。
「耐えがたい悲嘆にも重要な意味がある」と眼差しを定め、人生を再構築していく智慧を共に深く味わいたいと想っております。

願い

当会のロゴには『妙法蓮華経』如来寿量品の一節、「(じょう)()悲観(ひかん)心遂醒(しんすいしょう)()」と書いています。
「常懐悲観 心遂醒悟」とは、「深い悲しみを胸の奥深くに秘めていれば、その悲しみに導かれて真実なるものに出逢う」という意味です。

つまり、悲しみを忘れようとするのではありません。
とても辛いことだけれども、悲しみを懐き続ける勇気を養うのです。

あなたが、自らの悲しみを佛の智慧に照らし学ぶこと。
それは、「あなたや大切な人の生死が、宇宙やいのち全体の大きな流れのなかにおいて、どのような意味を持っているのか」を知る大きな契機になります。

考える場を持ちませんか

集いの会 ~ 安心して語りあう場であるために ~

当会は「悲嘆に学ぶ態度」をあなたと共に養い、「耐えがたい悲嘆にも重要な意味がある」と眼差しを定め、人生を再構築していく智慧を共に深く味わいたいと想っております。

当会では、あなたの話を無理に聞き出すことはありません。
また、求められない指摘や助言をすることもありません。
その場にいるだけ…そんな時間を過ごすことも大切なステップです。
あなたが話すことができると思われた時に、ご自身が歩んでこられた人生を語ればいいのです。

尚、当会は特定の宗教の布教の場ではありません。
仏教というカテゴリにとらわれることなく、ときには詩や音楽、芸術、先哲の教えに触れながら共に死生観を養っていきたいと願っております。

わかちあいの会

大切な人との死別は、私たちの心に深い傷を残します。
だからこそ、独りで悲嘆を抱え込まずに、自らの身に起きたことや想いを語り合いましょう。

15の夜の法話会

中学生の頃、尾崎 豊を聴いていました。あの時から、どれくらい時が経ったのでしょう。
あの時の自分に「解りあえない大人だ」と睨まれていませんか?

生と死を考える時間

私たちは楽しいとき、嬉しいときがあるように悲しいことや辛いことにも出合わなければなりません。ここでは、そのヒントとなるものを皆様と共有したいと願っております。

デスカフェ

この会はカウンセリングや悩み相談の場ではありません。棺に入る体験や喪失のワークをすることによって、「他ならぬ私の死」を少し想像してみましょう。

出張セミナー

ストレスフルな社会において、おそらく無傷の人はいないでしょう。
坐禅、仏教の教え、絵本を用いたワーク、きっと多くの気づきを得るはずです。

グリーフケア講演会
~「それでも、生きる」を胸に~

何よりのレリジエンスは、「この生きにくい世の中を作っているのは私でもある」という省察と生の絶対肯定を伴った「自分とは何か」という問いを持ち続けることです。

お問い合わせ、ご相談などありましたら、こちらからお問い合わせください。